サラリーマンのままで億越え資産を築くレシピ

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大学を出て入社した会社は今はもう存在していませんが・・・。


大学を出て入社した会社は今はもう存在していませんが、
茨城県北部に集中して工場を持っていた大手電線メーカーに

30年弱勤務していました。

こう表現すれば具体的な会社名はわかると思います。

地元の優良企業として、また、従業員はその会社で働けることを大なり小なり
誇りをもって働いていたと思います。入社してからおおよそ20年ぐらいは私も
定年退職するまで、いろいろ苦労はあれどその会社で働き続けるのだろうなぁと
漠然と考えていました。
主力の電線製造事業は産業のピークは過ぎていましたが、安定した需要はありつつも
それ以外の事業に積極的に投資していたので、私を含めた従業員は、やがてそれらの
事業が会社をしっかりと支えて行って、きっと会社も発展していく・・・というような
甘い期待をもっていたように思います。
ところが、リーマンショックが来て、積極投資した新規事業は軒並み大打撃を受けて
事業の撤退や大幅な軌道修正となり、会社は何度も人員削減や事業再構築プランを
作成していましたが、一向に改善する気配がなく赤字の事業年度が5期ぐらい続いて
いたので、親会社から社長が送り込まれてきて、弟格の兄弟会社と救済合併というような

流れになっていきました。

兄弟会社とはいえ、巨大な上場企業同士の合併で、私のいた会社の従業員からしてみれば

黒船が来たような雰囲気で、部門のトップはみなその兄弟会社の人物となり、私のいた

経理部門では、経理システムは全部その会社のシステムに総入れ替えになってしまい
その入替作業の際は、システム部門や経理部門の従業員は連日深夜までの残業が続いて
本当にたいへんな怒涛の日々でした。
かつて、地元からは絶大な信頼を得ていた私の会社は、同じグループの兄弟会社とは言え
救済合併というような形で存続することになりましたが、その前後では相次ぐリストラで
会社を去っていく人も多数いて、明日は我が身かビクビクしたり、今までの会社に対する
信頼は、少なくとも私から見ればゼロに等しいものになっていました。
日本の歴史ある大手企業はすこし乱暴かもしれませんが、おそらく大なり小なりこのような
大きな変革やリストラを経て生き延びている会社がほとんどではないかとおもいます。
ということは、「いい大学を出て、いい会社に入って、安泰に暮らす」というような価値観が

少なくとも私たち世代は持っていたように思いますが、この時代の変遷を経過するなかで

その価値観は見事に崩されたとおもいます。

私のなかでは、「会社にしがみついているだけでは絶対だめだ」という強烈な思いが生まれてきて、
気が付けば効率の良い安定した副業はなにかと必死に考えていたとおもいます。
効率の良い安定した副業・・・。
いうまでもありませんが、それが不動産投資だったわけです。

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